さて、今日は私が生まれ、中学2年生までを過ごした町をご紹介しようと思う。
長崎港から高速船で35分、周囲6.4km日本でもっとも小さい町だ。
私の少女時代は、黒ダイヤと呼ばれる良質の石炭がでる炭鉱としてもっとも賑わっていた頃だ。
小さな島に2万人近い人々が住み、町は活気に満ちていた。
お祭りが多かったように記憶する。七夕祭り、精霊流し、花火大会、盆踊り、おみこし担いだお祭りはなんだったろう。島民運動会もありつつ、小学校、中学校の運動会も島民あげてお祭りだった。
同級生が500人、全校3000人のジャンボ小学校である。遠足やスケッチ大会、マラソン大会で生徒たちが島内を移動するだけでも賑やかだったことだろうと思う。
それから子供の好奇心を満たすに充分の仕掛けがたくさんあった。自然は玉手箱、島全体がおもちゃ箱だった。
海と山を駆け巡り腕白少女の毎日はワクワク、どきどきしていた。
島民は皆家族のようなものだった。隣のおばさんにも叱られ、そのまた隣の食卓に座っていたりもした。
あれから30年の月日が流れ、人口868人の町になり、昔のような住民による賑やかさはないが、私にとってもいつまでもふるさとである。
そして今、飛島磯釣り公園や海水浴場がオープンして観光の町として生まれかわろうとしいる。
今すんでいる人、かつて住んでいた人、観光で訪れた人などなど、高島町と聞いて心動かされる人々は多いことだろう。
インターネットを使ってみなさんとコミュニケーションがとれるようになったら、それはそれで楽しそうである。
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