「今日もコーロッケ♪、明日もコォロッケ♪」という歌が流行っていた頃、いや、歌ではなくCMかもしれません。正確には覚えていませんが、小学生のころだと思うので昭和40年代でしょうか、我が家でも母の手づくりのコロッケがよく食卓に上っていました。
ジャガイモと玉ねぎとひき肉の種を丸め、小麦粉、卵、パン粉をつけて揚げる状態にするためには、大所帯を切り盛りする母一人の手では足りず、子供の私にもお手伝いのお役目が回ってくるのです。
大人のすることに参加できること、ひとつの役割を果たせることが、子供心にとってどんな嬉しく、そして自分の存在意義のあることだったでしょう。パン粉をまぶすという一番簡単なお役目に目を輝かせていたように思います。
揚げたてのコロッケをほおばりながら「私がつくったコロッケは美味しい?」と、全部ひとりで作ったかのように誇らしげに聞いていたように思います。
父にも「ねぇ、美味しいでしょ!」、兄にも「どぉ?」、姉たちにも、祖母にも、そして母にも。
大皿に山盛りのコロッケをおなかいっぱい食べ、みなお見通しのはずの家族の笑顔に大満足していた頃の幸せな夕餉のシーンをなつかしく思い出します。
命じられたり、言うがままにしてくれたりよりも、頼られたり、任せられることにこそ、こども心は大きく揺すぶられ反応するような気がします。
教育問題を考えるたびに思い出す、古き良き時代の我が家の食卓のエピソードです。
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